「良くも悪くも大量発生中」の「悪くも」の部分は、これがマツリの様相を呈したことで、2chの掲示板で「『伊達直人』じゃつまらないから○×(アニメやマンガのキャラ名)の名前で贈る」と予告があり、予告が実行されると、それが新聞やTVやネットのニュースなどで報道され証明され、まるでネットとリアルを連動させたイベントのよう。贈った人は匿名で自分のしたことが報道され脚光をあびる。自分に捜査の手が及ぶことはない。
これはネットで「どこそこを爆破する」と犯罪を予告し、予告された場所で警官が右往左往するのを楽しむ愉快犯と表裏の位置にあるのではないか。また、「仮面」(名前と身元不明)なのも、「見返りを求めない」「名誉のためにやっているのではない」のが本来の理由だろうが、プレゼントを贈られる側と贈る自分の間に一定の距離を置きたいからという理由もないわけではないのではなかろうか。贈り主の自分に関わってもらいたくない、人と関わるのはめんどう、贈る側と贈られる側との関係性をつくるのまではイヤ、一回限りの、またはいつでもやめられる一過性の関係にしておきたいという理由で仮面をかぶる人もいるのではなかろうか。(>ここまで悪くよめるのは「仮面かぶる理由」を「自分なら」で考えたから。>他人を自分と一緒にするなとか言われそう。)
あるいは児童養護施設の前にいつの間にか米俵がおかれてる。施設としては米俵を廃棄処分にする以外ないだろう。「ごんぎつね」の時代ではない。自宅の前に、誰だかわからない人が置いていった食べ物があったら、拾って有難く食べる家庭があるだろうか。少なくとも、自分が他人から預かっている子どもに、誰だかわからない人からもらった食べ物を与えるということはできない。米俵を置いていった人は昔の孤児院と勘違いしている。誤解がまかり通っている。差出人不明の米俵を施設の前に置いて廃棄されるくらいなら、フードバンクに寄付してもらいたい(実名で、消費期限内に)。
しかし、「困っている人がいるなら何かしたい」と思う人がいたこと、きっかけを探していた人がこれを機に実行に移したのならそれは嬉しい。前年夏から孤独死が社会問題になり無縁社会という語彙が生まれ、不況で無駄な出費は控えようと思う人が多いときの明るいニュースでもある。「タイガーマスク運動」により、児童養護施設を
「発見した」(不謹慎な言い方であることは承知のうえで)という10代、20代は多分多いはずで、それが社会的養護=セーフティネットのあり方についての関心まで深まることを願う。自由でもろい核家族に生息する子どもと大人にとっては決して他人事ではない話だから。
施設でお金に困っていなくても、学習支援金でランドセルが買えるとしても、施設に在籍しながら小学校に入学する子どものランドセルは、税金で「
支給させるもの」であるより、誰かから「
贈られるもの」であるほうがよいと思う。しかしそれが毎年続くかどうか(幼児期から小学校入学まで養護施設で迎えること子どもの数自体が減ってほしいが)、「去年入学した子はランドセルをプレゼントされたのに、自分の時は誰も贈ってくれない」という子どもがいる年が今後ないとはいえないことが匿名のプレゼントの危うさだと思う。だから一過性ではなく続けてほしいし、実名で施設と関係を持つことをしてほしい。なにより贈った人自身が誰かから期待され必要とされ息災を祈られること(どこかの宗教みたいだな)は、贈った人自身が生きのびるための大変な糧になるはずだから。
内部リンク
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がんばれ?児童養護施設職員(再録) ■
児童養護施設で暮らす子どもに里親家庭を ■付記
ある新人訪問者の誤解◇
ランドセルをアフガンに送るの記(ランドセルをアフガンに送った時の記録。これはリアルでもずいぶん話したが、「いいことだね」「ウチも子どものランドセルがあるから送りたい」という人は多数いたが、持ち出しボランティア=送料と輸送費の一部を自分で払わなければならない ということがわかると、みんな、ひいた。笑 )それに比べると「タイガーマスク運動」はすごい。児童養護施設を擬人化するなら、これはモテ期(良くも悪くも注目を浴びる時)なので、チャンスを生かさない手はない。チャンス、つまり社会的養護について広く知ってもらい考えてもらうチャンスだ。)