青少協れぽーと ≡その9≡  かなしいこと〜
ス−パーサイヤ人に変身したかった私

青少協に入って2年目の(元)PTA役員は、何かの「役」につくことになっている。
会長と事務局と事務局長と書記は10数年以上同じ方々が担っているので、青少協だよりを編集する役か、会計か、会計監査など、または他の地区の青少協(市の青少協は中学の学区ごとに7地区の青少協に分かれてる)との会議や、市で主催する「愛のひと声運動」の実行委員会、その他の会議に出席するなど、どれかを担当する。

2年目の(元)PTA役員が集まり担当を決めることになった。あれこれ選択肢について説明がされる中で、「市のほうで召集する○○についての会議はどんなことをするんですか?」という質問が出た。それに対して3年目くらいの先輩の方々が口々に言うことは

「あそこではニコニコして黙っていて、意見なんか言わないほうがいいわよ」
「何十年も青少協をやってきた方々だけの集まりだから」
「年配の方が『昭和20年ごろは云々だったのに、今はブツブツ』」という話でもりあがるので、『私はまだそのころ生まれてません』というと、『もっと勉強してください』と怒られたわ。」

という、「とても恐ろしい世界」だという。

想像したくないが、市のほうで召集するというものの、それは何十年も青少協をやってきた方々の集まりだそうで、老人(失礼)のガス抜きみたいな会議なのだろうか。

「だからあの会議は黙ってやりすごせばいいだけだから、誰でも出来ます。」と言われたときは情けなさよりも怒りで暗澹たる気持ちになった。

頭が痛くなった。涙が出そうになった。ふざけんなよ。私はそんなくだらない「会議」のために貴重な自分の時間を差し出す気はない。
「ヤル気あんのかてめーら」と、私は怒鳴りたかった。
役員の中にはそういう会議を「楽でいい」と選ぶ人もいるが、趣味のお茶会で出席するならともかく、役員として自分の時間を割いて出席する以上、出席したからには何か自分の身になるものをもって帰るか、実のなるものを出すための会議でなければ割に合わないじゃないかと思う自分は、ある意味、とても真面目な人間なのだろう。

結局私は広報を担当した。



 私は青少協を担ってこられた年配の方々には敬意を表しているが、”今までこういうやり方できたのだから、これからもこういうやり方を続けなければならない”といった硬直性は問題だと思う。
少なくとも、これから子どもの親になる人は、今、孫のいる年齢の青少協の方々たちと同じようなやり方でやっていくことは出来ないのではないか。

干菓子中学校区の青少協は他の地区の青少協に比べれば、まだ若い人たち(?)が活動の中心にいるそうで、他の地区はもっと年配の方が活動の采配を振るっているようだ。市内の全青少協で行う青少協××周年記念行事の会場では、中学校が創立された順番で各地区の青少協代表が座るなど、細かいことに気を使わなければならないと云う。


その10

(05,09,12)

k's page - 2