[ファンタジー × 現実]    「精霊の守り人」を読みながら...
チャグム11歳 「精霊の守り人」(上橋菜穂子/偕成社)

物語は
 −精霊の卵を産みつけられた第二皇子チャグムは、父である帝から命を狙われる。女用心棒のバルサは皇子を守り抜くことができるか?−

小学校3年生くらいから読めるファンタジー

「闇の守り人」「夢の守り人」「神の守り人(来迎編)(帰還編)」「虚空の旅人」とシリーズ。


   FAN ART 4点    


私はこの本についての書評や作者へのインタビューを先に読んでいたので、スタジオジブリのアニメーターさんが挿絵を描いてる等も読む前から知っていた。だから、「そのうちジブリでアニメ化されるような話?」と思いつつ読み始めたが・・・、カップリングがどうだとかキャラ萌え云々で話したくなる物語ではない。すいません。これは決してキャラクターをけなしてるわけではないです。

文化人類学者の作者は、「レンタル・ビデオに入っている映画の予告編を見ていたら、燃えるバスから男の子を連れて駆け出すエキストラのおばさんの姿が目に留まったのです。その瞬間、中年の女性が男の子を守って旅に出る『精霊の守り人』の構想が浮かんだ」と「本の花束」04、5月号のインタビューで答えている。

子どもを守る中年の女性とは、「短槍使いのバルサ」の通り名をもつ女用心棒で、「三十路の坂を越えようとしてる」独身女性で、「傷の直りが20代の頃より遅い」と言われるし、「目じりには小じわが」とまで言われるわで、果たしてこのバルサの陰影のある容貌をアニメやマンガのフラットな線で表現できるか?(と自分がアニメ化するわけでもないに、考えてしまった...。)

(30歳のナウシカまたは30歳の麻宮サキを描けというようなものかしら...)

(もし「アニメ化するのでバルサを10歳若く描かせてくれ」という話が来たら、作者はOKするのだろうか?)

しかし「精霊の守り人」は面白かった。しつこいけれど、キャラ萌えがどうとかは置いといて、純粋に、「この続きはどうなるんだっ!?」と、どんどん読み進めていける面白さにはまった。





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「精霊の守り人」では支配者側の歴史[正史]と、被支配者側の口承を重ね合わせることが、物語の鍵になる。わずか200年前の歴史が正しく伝わっていないことを、シュガが嘆く。
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「精霊の守り人」を読みながら、野田正彰(精神科医)の「共感する力」(みすず書房)の一章を思い出した。

歴史認識について書いている野田氏の辛口エッセイの上の本のなかに「歴史の捏造」といった頁(正確ではない。図書館に返却してしまったので)があって、50余年前の歴史認識どころか、わずか8年前の歴史すら捏造されようとしていると、野田氏が書いていた「阪神淡路大震災と自衛隊の関係」をふと思い出した。

(注/ここでは自衛隊が是か非かではなくて、事実が後世にどう伝わるかという話です。)

野田氏によると、ある新興団体(みなまで書かなくてもいいよね)の作る歴史教科書のなかでは早くも95年の阪神淡路大震災についてとりあげ、「震災で自衛隊による救助活動が展開され、自衛隊は市民権を得た」という旨が述べられているそうだ。

野田氏は、自衛隊は実際には法的しばりのため機敏な救助活動が出来ず、災害救助の機材も持っていないといった、当時の新聞を検証してみれば明白な事実がわずか10年もたたないうちに捏造されていると書いていた。

1995年は阪神淡路大震災と地下鉄サリン事件と一連のサリン事件を引き起こした上九一色村のオウムのサティアン大捜査という事件の続いた印象的な年だ。阪神淡路大震災のとき、私は新聞やTVで、「ボランティア元年」(と新聞でも呼ばれている)ほうが印象に残るくらい一般の人が救助に駆けつけた記事ばかり見た覚えがある。寡聞にして、自衛隊が阪神淡路大震災の救助に活躍という記事やニュースにふれた覚えがない。それは私や野田氏がそう感じるだけなのか?

しかし、平成生まれの世代がその教科書の記述を読んだら、”自衛隊は阪神淡路の災害救助で市民権を得た”という”歴史認識”になるのかも...。(注/もちろん野田氏は自衛隊が災害救助に貢献してないと言いたいのではなく、別の目的を意図した歴史認識の捏造について言及している)

などと、頭の中でファンタジーと現実が重なった。
もうひとつ交錯した。


「精霊の守り人」シリーズを読みはじめた04年4月5月はイラク人質問題でマスコミがにぎわった月だった。

イラクに行ったジャーナリストとボランティアの行動の是か非かは置いといて、コレが数年後にどう伝わるかということを考えると...少しでも、正しく伝わるためには「政府から元人質3人に対して、救出費用の一部を請求すべき」ではないかと思った。

国会で「政府は元人質3人に対して、救出にかかった費用を請求すべきだ」という議員がいて、フランスの新聞などではこの発言がひんしゅくを買ったのだけれども。
 
「自己責任で行ったのだから(または国に迷惑をかけたのだから)救出費用の一部を負担すべきだ」「雪山遭難で、救出された登山者が救出にかかった費用の一部を払うといったことの例があるじゃないか」というのとは別の趣旨から、救出費用の一部でいいから、政府から3人に対して支払い請求があったほうが、後々のためによいのではと思った。

というのは
読書日記サイトのquimitoの本箱で、決して3人の擁護派ではないquimito氏が5月の「能書き」に曰く

それから政府は、きちんと3人に費用請求してくださいね。それもなるべく法外な値段を。そして法廷に持ち込もう。今回どれだけの費用がかかったのか、国民の前に明らかにしてほしい。そうすれば、政府が何をやったのかも明白になる

そうか、3人に救出費用(の一部でも)を請求するには、その前提として国は、いったいぜんたい実際にどれだけの費用を救出のために使ったのかを明らかにしないわけにはいかないから。

実際に政府は何をしたのかしなかったのか、向こうの部族長にいくらの身代金を払ったのか払わなかったのか、何にカネを使ったのかを、救出にかかった費用とその内訳けという公的な書類として残ったほうがいいと思うから。

私は、人質の家族がバッシングされながらも、なりふりかまわずTVに出演し、イラクのTVにも放映されたことが、人質開放の大きな力になったと思う。またこれは決して政府が救出に力を尽くさなかったとか云う意味で言っているのでもない。元人質に対する訴訟という形をとっても救出にかかった公的な費用という数字を出せるものなら出したほうがいいのではないか。数年たって、イラク人質事件の救出劇?が歴史になったとき、誰かが都合のいいように書き換えられないとも限らないのだから、政府が救出のためにやったこととやってないことの一種の証明書類にはなるでしょ。


と、「守り人」シリーズの既刊分を読み終えた04年6月21日(月)”夏至の日”に

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