その2誰の物語か?

ポケモンのなかでは、タケシ、ほら、あの「いいひと」みたいな目をしてるキャラクターが好きです。家事のサシスセソ_裁縫,しつけ,炊事,洗濯,掃除のエキスパートで、出て行った両親のかわりに9人の弟妹の面倒を見てきたという過去の持ち主。
サトシとカスミとタケシで旅をしてる時、タケシはサトシの <実質的なお母さん>の役割をしている。多分、食事やお茶の仕度から洗濯まで、家でやっていたことと同じことをしているはず。せっかく弟妹たちから開放されたというのに.

それでいて、サトシが困ったときのアドバイザー <精神的には父親> の役割をしているのが、とても面白い。(案内,指示,助言,紹介,禁止などなど) とはいえでしゃばらず、的確にポイントを指摘しつつ、サトシに、自分はサポート されているという意識を抱かせないのがスゴイ。(なんちゃって)

だから、タケシの目指すのがポケモンブリーダー(育てる人)というのは象徴的。トレーナーを目指したらサトシのライバルになってしまい、保護者を兼ねることはできないから。  
だから、「ポケモン」は 「サトシがポケモントレーナーを目指してポケモンを育てる旅」という物語であるとともに、「タケシがサトシをポケモントレーナーに育てていく物語」であると私は思っている。
それは、「育てる」というよりも、「育つのを 見守る」旅と言ってもいい

基本的にはサトシが自分で自分を育てていく旅であり,タケシはサトシの未熟さを手助けしてやっているにすぎないのだから.
(育てるとは、何も口やかましく相手を指図することではない …反省 )

この裏にもうひとつ、カスミが、タケシorサトシが育つ のを待っている、という物語も隠れているのかなあ?と思うが それはわからない。

トレーナーはポケモンを育てる… ポケモンを理解する…  ポケモンを信頼する…
ポケモンを制御する…  ポケモンと仲良くする… ポケモンを使いこなす…

これらの「ポケモン」というところを、「 自分自身 」と置き換えても意味は通 じる.
マサラタウンの少年は、10歳になると、自分のポケモンをもらって、育てる旅に 出る

( 「マサラ」…は、もちろん 「まっさら」の意味だろう。「さら湯」の「さら」、新しいこと、まだ何にも染まってない白紙の状態から旅立つことを意味する。)

…それは、自分で自分を育てる旅に出ることにほかならない。
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付記
東京では、2月11日(木)で、タケシは退場し(ぐすん…)、18日(木)より、ポケモンウオッチャーの
ケンジが登場。サトシがステップアップして、保護者の役割が後退したので、”育て屋さん”が
”観察者”に交代したんだろうな。「理想の親」は、子どもの行動にいっさい口をださない「純粋な
観察者」というわけか。それにしても悲しい…。今度タケシが登場するときは、赤ん坊でも背中に
しょってるんじゃなかろうか…?   

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