−フェミニズムについて語っているサイト(ブログ)の話−

「いわゆる田舎の長男の嫁」になって十数年という女性の語るフェミニズムについてのブログを面白く読んでいる。

アニメ 3回まで


「フェミニズムとは、自分を抑圧しているシステム(制度)に気がつくこと」といった文を読んだとき、浮かんだのが左絵

(ありきたりなので、ちょっとアニメにした)

 「昇華装置としてのフェミニズム」に同感。

義父母に対する嫁の立場の感情を「社会的な怒り」に昇華させることができたのは、彼女がフェミニズムという装置を手にしたからだったという、自分への再確認のためにフェミニズムに向き合っている女性のブログが面白い。

自分を拘束(または成り立たせている)社会的な構造に気がつくということは、自分にかけられていた、それまで見えなかった呪に気がつくところか。





私は東京のはずれの核家族の主婦で、彼女はフェミニズムを語る具体的エピソードに事欠かない濃い体験をしてきた地方(という言い方でいいのだろうか)のほぼ同年代の女性。

ほぼ同年代の同性の日記で、自分と興味の範囲が重なっているという方の日記(ブログ)は、これはもう通わずにいられない。

イメージ


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自分の子どもを入れて四世代同居の農村の嫁という濃い生活をおくってきた女性の人間関係をイメージしてみる。

(パズルの「箱入り娘」みたいな図になってしまったので、イメージ元の方が御覧になったら笑うかもしれないとも思ったが、これは本当に笑いごとですむ図ではなかったと後日やっと気がついた次第。まったくもって、浅はかでした。)

四角の部分は従来の長男の嫁に背負わされた重圧的役割とポジションをあらわしてます

(断じてそういう生活を哂(わら)うつもりで描いたわけではないですよ。や、私は知識と見聞でしか知らないまま描いてみたので、ある意味それが、当事者にとって過去ではなく現在進行形でドンピシャな図になる確率は低いと思っていたので、予想外だったとあわてると同意に、反省しました。)


(私の両親はそれぞれ地方の農家の三女や四男で、昭和30年代の高度成長期の幕開けのころに都会に出てきて結婚して所帯を持ち、その子どもである私は両親の故郷とは既に縁遠くなっている。

なので、私は農家の長男の嫁と言う立場を負わされた方のブログを、「自分には故郷がない代わりに、こういうしがらみに煩わされずに済んできたのか」という斜めの読み方もしている。(もちろんどちらの生活が良いとか悪いとかの話ではありません。)


おまけ



















 04-11-27 
 04-12-31 一部改稿

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