このファイルは
「百器徒然袋 雨」 のネタバレを含みます




「百器徒然袋 雨」 講談社ノベルス
  感想メモ
<鳴釜 薔薇十字探偵の憂鬱>
<瓶長 薔薇十字探偵の鬱憤>
<山嵐 薔薇十字探偵の憤慨>

カタストロフィィィ−  いえ、カタルシスの鳴釜
おっもしろかった!!!(ぐっ!>にぎりこぶしっ)






「鳴釜」
妖怪シリーズの外伝といえるもので、掌編いや中編というのかな。しかし「鉄鼠」まで読んでくると、この本の1編の厚さは掌編とすら思える。すいません。
「うぶめ」「はこ」「ゆめ」「ことわり」「おり」と云う順に読破して、しかし、自分にいちばん人間的に近いのは関口君なので、ここから先は関口君が辛いことになるらしいと知って、どうしよう。関口君の鬱がこれ以上伝染したら自分的にまずいかもしれない。ここで少し読むのやめた方がいいのかもしれないと逡巡してるときに、外伝の話を聞き、図書館で借りた。

よかった。カタストロフ...じゃなかったえええっと、カタストロフィィィィー...だと 大崩壊か。崩壊的大団円なのは間違ってはいないけど、違うちがう カタルシス 浄化 だ。
榎木津さんが仕切るとこうなるんですかっ!きゃー!
笑いました 良かった 面白かった ほっとした こういう”勧榎木津懲悪”が読めてよかった。有難う榎木津さん。惚れ直しました。女の敵をやっつけてくれたからスカッとした というよりも、それは、フィクションとノンフィクションを交錯させて書いてふざけていると思われたら申し訳ないのですが、私の知り合いのサイトで、実親に育てられない子どもを育てる養育里親さん(子どもとの養子縁組を目的としない制度で、児相を通じて預かった子どもの生活費学費などに行政から若干の補助も交付される)のサイトがあるのですが、そこの掲示板で、ある中学生の里子ちゃんが、自分はレイプ妊娠で生まれたのかもしれないと気が高ぶっているのが原因での、結果としての荒らしがあったばかりだったので、なんだかな、余計なことは気にしないわ、済んだことは忘れるわ、僕が偉いのは親が偉いんじゃなくて、そんなことは関係なくて、僕が偉いから偉いんだいという榎木津さんが、素敵で、こういうお話が読めてよかったと 素直に思ったよ。
「瓶長」
半分まで読んだところで、あれっ!この語り手の男の人の名前って、なんだっけ????と、ハタと気がつき前の方を繰ったが名前が見つからない。うわあーずっと名無しサンだったのか!?それまで話の展開を追っかけるのに夢中で、「鳴釜」でも依頼人の名前など気にならなかったことに気がついた。
このまま名無しサンで行くのだろうかっ?と驚いた。

語り手は読者視点を代弁しているのが通常とは云うものの、名無しとわかると、これって小説世界に入り込んだ読者(自分)じゃないかと気がついてぞっとした。
 どこの誰でもないということは、どこの誰でもあるということで、語り手であるお邪魔虫的登場人物は物語に無理を言って出演させてもらっている読者(自分)だこれ。(「ソフィー」とか「はてしない物語」なんかよりずっと読者をその世界に置いた手法だと思う。)
「鳴釜」では依頼人という事件に関わらざるを得ない地位があったが、「瓶長」「山颪」ではその必要がないのに自分から彼らに関わりたいので無理に関わらさせてもらっているという感じがひしひしと伝わる。

名無しさんは小説世界に出演させてもらっている読者(自分)だと気がつくと、自分としては物語内での彼の一挙手一投足および周囲からの取り扱われ方がすごく恥ずかしくなる。うわわ。

名無しさんは榎木津さんに名前を満足に覚えてもらえなくて、状況と自己を分析をして関口君とか云う人のようにはなりたくないと思うし、でも明らかに彼と同じ(下の枠内参照)だと証明されてるし、気がついたら榎木津さんの信者で、あれこれ推理もするし、度忘れして失敗をしかけるし、しかしここで引き下がったら自分の出番がなくなると健気にくいさがるし、うう...読者(自分)だこれ。

名無しさんは登場人物たちから申し合わせたように仮名で呼ばれたり、「そこで僕は自己紹介した」という説明で誤魔化したりして名前を出す機会がない。すごいやこのまま名前を出さずに終結するのかなと思ったら、でも最後の最後に裏切ってしまうのですね。残念。はー。でも、そうか。だから読者はそこで、彼と分離して、こっちの世界に還ってくることができるんですね。

それにしても、「山颪」は関口君ますます道化が板についてきて、ひどいです ウブメの頃の面影はどこにいったんだ。かわいそうという字は「可愛そう」だっけ「可哀そう」だっけと思い、「哀」だよコレと思いつつ腹を抱えて笑ってしまった。笑いました。彼に対する京極堂のあの仕打ちときたら、もう、オニ!アクマ!ヒトデナシ!と遠慮なく言えるぞ。笑った笑った笑った。




すいません。コレ、くだらないと言えばくだらないオマケです。
妄想型人間。なにひとりで盛り上がっているのでしょう。アホですアホわかったっ!
「百器徒然袋 雨」 講談社ノベルスの語り手(鳴釜では依頼人)の職業が電線の配線工であった理由が。

というか、高いところで行う職業である必要があったのだ。もちろん鳴釜の披露宴の場面で、語り手はその仕事に付いた理由を語っているが、もう一つ作為的に設定した(と思われると、私が勝手に決め付けているだけです)理由があることに気がついた。

そうなんだ、たから彼は高いところでする仕事でなければならなかったんだ。
無駄な設定はないのだよ
という京極堂の、イヤ作者様の声が聞こえたようだった。ええもちろんコレは私の勝手な妄想だと思います。(この妄想を知りたい人は空白スクロール)

作者は考えた。
「百器徒然袋 風」 の語り手の本島君は、「妖怪シリーズ」におけるワトソン役、つまり読者の視点を持つ登場人物、関口巽の代理であり、作中、関口巽と同じ配役を担わせよう。

「関口巽 = サル」
「サルも木から落ちる」

だから関口の代理で御同輩である本島君も「高いところから落ち」、同じおサル仲間であると証明しておこう。と。

 勝手にそんな隠喩(?)を思いつき、笑った〜

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k's page - 2

(妄言多謝 04,09,14)
(すいません何を勘違いしたか「百器徒然袋 風」と記してましたので訂正しました(04,9,25)