このファイルは「姑獲鳥の夏」「凶骨の夢」
のネタバレを含みます










文庫p962

京極堂
「(その答を)尋くのは野暮天と云うものだ。
フロイトにでも聞くんだね。でも君はとっくに答えを知っているさ」



肩乗りカラス 関口
 朱美さんが蘇った申義の首を切った理由は結局なんだったんだ?



きっと京極堂は関口くんのその疑問に対して、こんなふうに反応するのでは。
カラスに怯えるセキグチ たとえばこんな
「それなら言わせてもらうが、君は、君を12年前に自我崩壊寸前にまで追いやり、挙句、その記憶を封印してしまわなければならないほどの体験をなさしめた、ある意味これ以上ないほど忌まわしい相手のために、走り回り右足の脛を腫らし雨の中を3時間も座り呆け、柄にもない大立ち回りを演じ云々と、どうしてそこまで彼女に −俗な言い方をするなら− いれこむことが出来たんだ、その理由をどう説明するというんだ?
 『恋』か『愛』か『同情』か『憐憫』か『贖罪』かそれとも『社会正義』とでも言うつもりか。」
いやまったく関口君はお人好しだねとか暗に言ってるカラスも相当に人が良いです 関口君のそれだって、理由を説明しろといわれて『恋』とか『愛』などと答えたら、その途端それはやはりすごく薄っぺらなモノになってしまう

(たぶん、12年前のコトについては、関口君は彼女に対して自分に120%非があると思っているが、京極堂のほうは、襲われたのは君の方だろと理解してるように思う)
ははははは 関口君に「何故あんなに必死になって彼女を救おうとしたのか」と尋くのは野暮というもの。

朱美さんに何故申義の首を切ったのか尋くのも野暮だという。

言葉で説明しようとした途端、逃げていってしまうものがあるということを関口君は知っている。

だから関口君は「答をとっくに知っている」と言われたのかな。





京極夏彦ネットコミュニティにカキコした文 (少し加筆して転載)

その1
関口君が京極堂に質問するまでは、なぜ首を切ったのかを私は疑問に思わなかった。

文庫p226 朱美「また生き返っては困るし、最初に死んだときと同じにしなければいけないとも思いまして」と言っているので素直に納得してました。

降旗のフロイト的解釈による首を切る理由は
文庫P254「彼女の心の中核に、死を好み、破壊を好む殺人淫楽的素養があったということですよ」となってますが、これも違うのですよね。

最近思ったのは京極堂シリーズでは順番が大事なので、その前作の「魍魎」のバラバラ殺人事件を思うと、鳥口君関口君敦子さんが湖畔から都心に車で戻るとき、敦子経由京極堂解説によると(文庫p138あたり)犯行直後のバラバラは「非日常を日常に矯正しようとする」「日常を取り戻すという」行為だという。

コレなのかとも思ったものの違うような。これだとその時の心理状態の説明になっても動機の説明にはなってないか...。

 朱美さんが切ったのは首だけで、朱美さんも「何かで首を切らなくてはいけない。でも台所の包丁で切ったらあとでお料理に使えなくなるから困る」とか思ったことは確かなようだ。鳥口君の言葉で言うと「ここの筋は切りにくい」とか思いながらも「この野郎め憎い憎いとか別に思ってない訳だ。ううん、殆ど職人状態な訳」で切ったのかと。
 文庫P229によると「四苦八苦して切りました。切ってる間は夢中で何も覚えていません。どんな気持ちだったかもわかりません。」切らなければならないと思ったから切った。切ってる間は無心というか、行為に没頭してたわけだ。


その2
文庫p226 朱美「また生き返っては困るし、最初に死んだときと同じにしなければいけないとも思いまして」
もしもこれが表面的な理由にすぎず、「首を切り落とした」ことについては隠れた理由があるとしたらと再度考えてみた。(しつこい>自分)

文庫p222 朱美「あの人の首を切ったのは、その神主なんです。頸を絞めたのは私でも、首を切り落としたのはその神主なのです」
(最初の殺人のとき、朱美は首を切り落していないと自覚しているわけで。その時はただ無我夢中で首を絞めただけですよね。)

文庫p228 蘇った申義の遺体について
「しかし−なぜ自分は首を切り落としたのか、と云う問いに対する答は、絶対に認識したくないのだろう」

文庫p962 京極堂「(その答を)尋くのは野暮天と云うものだ。フロイトにでも尋くんだね」
ということは。

普通、「野暮天」という言葉の使われ方はこんな感じですよね。
例  「A子さんはなんだってB男君の世話を焼きたがるのだろう」
   「君も野暮だね。好きだからに決まってるじゃないか」とか。
恋愛に関することで、また当たり前の答すぎるので、そんなことを聞くほうが気がきかないのだという意味で使う言葉では。

また、「フロイトにでも尋くんだね」というのは、彼女の無意識にでも尋けというふうにも聞こえました。

だから「答」は彼女の深層といったもののなかに在り、それは彼女の申義に対する意識されない意識といったモノであって、降旗の分析したように今の彼女が「絶対に認識したくない」はずのものだとしたら。

今の彼女は申義の亡霊を畏怖し、嫌っている。その逆の感情が「意識されない意識」ということになら。

答は、彼女は申義を好きだったから首を切り落とした...かな?
(少なくともかつては好きだったわけだし)

好きだったから、だから彼女は、自分が、申義の遺体を「最初に死んだとき」そうだったという「首のない死体」と同じ死体に、してあげなければ、しなければと思って首を落としたのでは。

そこに首を切り落す役の神主がいない以上、自分がそうしなくてはならないと思ったのか。
いや、違う。また誰かが現れて申義の首が切り落とされるような事態になる前に、自分が申義の首を切り落としてしまわないことには、彼女の気持ちのおさまりがつかなかったから。

自分が先に首を切り落してなおかつ首を海に放り投げてしまえば、たとえ後から現れたヤツが申義の首を切り落そうとしても、ないものは切り落とせないし、首を持っていくことも出来ない。

つまり、申義の遺体の首を落としたのは、彼女の申義に対する、なけなしの愛だったのでは と。

(独断と偏見です。気にしないで下さい。)
「好き」「愛が」というのは文字にするとなんだか情けないくらいにひらひらして恥ずかしいものになる。
「愛が」といったら「愛が」にだけ光が当たり、そのほかの理由が全て削除されてしまうようで、理由を言葉にしょうとした途端におかしなものになる。
それでも言葉にしようと、朱美が申義の首を切った行為の動機に一番近い言葉をさがすと、愛憎か執着か妄執か、情 ジョウ   情という言葉が一番近いかな
サロメのように切り取った首を愛でるのでもなく、阿部定のように切り取った一部を身につけておきたいからでもなく、申義の死体は私が(彼が最初に死体になったときと同じに)完結させねば気がすまないという朱美の申義に対する情というか意地というか責任とでもいったらいいのか。

京極ネコでレス下さった方々へ 本当に有難うございました。

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(04,09,14)