極私的マンガ感想文または覚え書きもしくは薀蓄垂れの つれづれ文

「魔法陣グルグル」 × 「ディスコミュニケーション(冥界編まで)」
共通項は「 心の中 」

その1
▼ これは「魔法陣グルグル(以下、「グルグル」)第9巻より、魔境入門テストを突破した主人公達について、魔物(モンスター)たちが出した 戸惑いと評価の御言葉。
魔物 A:「 ( こいつらは ) 強いんだか 弱いんだか…( まるでわからん )」
魔物 B:「 こんな 『 強さ 』 は どうにも聞いたことはない」
魔物の長 :
「 どうでもいい特技も全部あつめてひとつのパワーとなるなら、それがそいつの強さなのだ。 よいかね、世界には必ずどこかに『今 作られつつある部分』 がある。最初は不細工に見えるだろうが、新しい力とはいつもそういうものなのだ
▲ これはそのまま、「グルグル」というマンガに対する評のようにも見えた。

…つまり 「このマンガは うまいんだか、下手なんだか …(まるでわからん)」 「 こんな 『面白さ 』 は どうにも聞いたことはない」。
少なくとも1、2巻の頃の絵柄は、独特の雰囲気はあるとはいえ、あえて言わせてもらうなら、”コマが多くてゴチャゴチャしてるわ、顔のアップや正面向き姿ばかりだわ、イラストの絵ではなくあくまでも「マンガ」の絵として、つまりストーリーの流れを追っていくための絵としてとして見るなら、これを上手い絵というのは無理があるし、RPGの画面に慣れた小学生には違和感も何もないのか知らないが、レベル表示等の小さなハコが画面をさらにちまちまと見にくくしてるし” とか何とか、内心読みにくさを覚えつつページをめくったのは自分だけではあるまい。(いや、自分だけだったりして)
(注/絵柄についてのマニアックな感想はまた別)

そして9巻、この頃には最初の頃とはかなり絵柄も変わり テンポもよくなり、私はすっかりグルグルの世界に馴染み、目が離せなくなっていた。… 「最初は不細工に見えるだろうが、新しい力とはいつもそういうものなのだ」 …これは、作者(衛藤ヒロユキ)が 作中の魔物の長を通して(主人公達の力について説明するという形で) 自分の作品について語らしめた言葉のように思えた。(うがちすぎかな?)

作者は連載3年目の頃のインタビューで曰く。「グルグルを支援してくださっているファンの方は、先物買いしてくれてると思うんですよ。こいつはそのうち何かやってくれる、と思うからこそ、見捨てずに読んでくださっていると思ってます。」(雑草社 まんが情報誌「ぱふ」95年12月号)
作者には申し訳ないが、私は最初 新古書店で10巻近くセット売りされていたのを買って読んだ。もし新刊書店で第1巻だけを試しに買って読んでいたら、見捨てなかったかどうかはわからない。


あくまでも勝手なマニアの感想 …1、2巻の頃の絵柄について、さべあのまの初期の頃の絵に似ていると思った。(「星屑の剣」から出てきた精霊の男の子ほか) といっても、さべあのまが商業誌に描くようになってからの絵ではなく、同人誌を中心に描いていた頃の絵柄とファンタジックな物語を描くときの絵柄のミックスで、RPG風物語の原作をもらったさべあのまと「 絶対安全剃刀」の頃の高野文子が ヤケをおこしつつ不慣れな世界を試行錯誤しながら合作で描いたような、そんな拙さと ぎこちなさと へっぽこさと 美意識がないまぜになっているような変な感じがした。 作者は大島弓子などの少女マンガを読んでいたと前記のインタビューで答えている。

そして、だんだんと登場人物の等身が小さくなっていくにつれて、子どもが描いたラクガキのような単純な線で描かれた魔物がちらほら出てくるようになる。この端役の魔物たちの造詣というか意匠 どこかで見た覚えが…と、そうだ、土橋(つちはし)とし子だ 、イラストレーターの。土橋とし子の絵は、一度目にしたら絶対忘れない「変な絵」。後者の絵の影響を受けたことは、作者は多分否定しないのではないか。(影響とかいうものではなく、たんに土橋とし子が 先に”そういうもの”を描いてしまったというだけの話かもしれないが。いや、やっぱりイジラさんとか あれは。)

その2

私が「グルグル」を読んだのは今年(2002年)になってからで、先日発行された14巻までしか読んでいない。 それまでも「グルグル」というマンガやアニメやビデオがあるのは知っていたが、完結していないマンガは読まないことにしていた。(既に学生でもなく、自由になる時間も予算も大幅に限られている身なので、「単行本ではまり、連載中の雑誌を毎月買いにいくようになる」ことは避けている。) ネットで、自分の好きなアニメのファンサイトで「グルグル」のコーナーを目にすることがなければ「そのうち読みたい」と思うこともなかった。ブームが去った後に手を出した次第。間抜けな話です。

ウチの子どもも「 グルグル」は読めるので、家の玄関やちゃぶ台に「 グルグル」がほうりっぱなしになる。ダンナは私が読んでいるとは思わなかったそうだ。私が読むようなマイナーなマンガの表紙には見えなかったそうで。(ったく。)

で、私が読んでいると知り、「何 それ、ジャンプ系のマンガ?」と聞いてきた。
「(ちがう ちがう、うーん、何と説明したらいいのだろう。えーとダンナに通じる言葉で説明するには…)
これ、『ディスコミュニケーション』(以下、「ディスコミ」と略)の子ども版だ。
「性」がまったく入ってこない子どものために描かれた「ディスコミ」だよ

と、とっさに言ってしまった。


(はい、どう見ても暴論です ☆/(x_x))

しかしね (誰に向かって言ってるんだ誰に) ラジニさんの魔法の研究所もアダムスキーさんの作品によって「お化け屋敷になった」武器屋の店の中も、アイテムなのかおもちゃなのか魔除けの人形なのか何だかよくわからないオブジェやらで ごちゃごちゃといっぱいになっている部屋というのは、「ディスコミ」の主人公の一人、松笛君の部屋と非常に似かよった雰囲気ではないかという気がするんですよ。

もちろん 「グルグル」 と 「ディスコミ」は絵柄も、作風も、お話も、全っ然 違う。(男性が作者という点が同じというくらい)
しかし 前者に タダの”RPGふう冒険活劇マンガ”ではない何かが見えてきて、私にとって がぜん面白くなっていったのは、ニケ君がアラハビカの謎に気付き、「 そう、キーワードは『心の中』なんだ」と言ったあたりからだった。

わけのわからなさ、混沌として形にならないもの。クサイ言葉で言ってしまうなら「グルグル」 と 「ディスコミ(冥界編まで)」はハートの魔法をめぐる探検の旅。(と、書いても、一方のマンガしか知らない人なら、それぞれに「ふうん?」と思うかもしれない。既に両方のマンガを知ってる人はどう思うだろうか。案外、怒るのではなかろうか)(…^_^U)

「グルグル」8巻の後書きで、作者は「 グルグル」を「 ほとんど(自分の)心のヌード写真集」と言い、「ディスコミ」13巻の後書きでの作者も「ディスコミはまさに(私の)病状カルテ」と言っている。ギップルちゃんとニワトリさんは、ともに 画面に顔を出している作者の姿。



その3
暴論こじつけの非難をはたきたおして自分的分類を通すなら、「性」がまだ(「まだ」です、「まだ」)まったく侵入していない子どものために描かれた物語が 「グルグル」という冒険
「ディスコミ」は「性」が射程に入り、子どもではいられなくなった子ども以上の読者を対象にする。

といっても「ディスコミ」はエッチマンガではない。 しかしこれほどエロティックなマンガはない。最初の各話完結の小さなエピソード群のような数話とそのあとの冥界巡りの旅において、全く肉感的ではない絵柄のヒロイン戸川とヒーロー松笛の 表面的にはキス以上には進まない関係。それでいておそろしいくらいにエロティシズムな風景。


松笛と戸川はシリーズの最後まで ともかくもキス以上のことはしていないわけで。しかし冥界編以後の学園編後はかなり倒錯的な話が散見されるようになる。冥界編のほうが精神的な緊張が高いぶん、かえってエロテックだった。 戸川の目の描き方が学園編で変ったのが私にはいただけなかった。リカちゃん人形みたいな目というかフィギュアみたいというか…作者の女性観が変ったのかなと思ったりして。「病状カルテ」なら仕方がないが、ネットで読者の感想をみてまわっても、やはり学園編以降については感想が分かれている。そちらを先に読むと、変態マンガの一形態に見えないこともない)(…^_^U)(くどいけれども、ここで「グルグル」関連として薦めるなら冥界編まで。「永遠の時間」など、好きな各話も少なからずあるが、学園編以降はちょっと人にはすすめにくい。


「どうして ひとはひとを好きになるのだろう/どうして私は松笛くんをすきになったのだろう」という問いの答えを戸川がさがしていくのが「ディスコミ」。当然 答えなどない。だから「ディスコミ」は「すべての問いを宙吊りにしたまま」終わる。「ディスコミ」というマンガが終わったというだけで、松笛と戸川のその後は続いているのだろう、きっと。



松笛と戸川は キス以上のことはしていないといっても、松笛は戸川の「涙を飲ませてほしい」「襟足を剃らせてほしい」という変態(!)で、むしろ、キス以上の性行為はできない、異次元から紛れ込んだ生き物のような感じがする。はたして松笛を好きになった戸川は幸せになれるんだろうかと、私は最初の頃思っていた。。。じゃあ、「幸せ」とは何なのか。「将来 大人になって結婚して子どもを産んで幸せな家庭を築くことがあるべき姿」というのなら。。。 どこかにいるもう一人の松笛と戸川が既に「そう」してくれているので、いまここにいる戸川たちはそういう幸せの形に収拾されなくてもいいんじゃないか、自由にやっていいんじゃないかということをいうために、冥界巡りの旅があったのでは。とも、私は思う。これこそ勝手な思い込みだ。

というわけで、私にとって「グルグル」と「 ディスコミ」は ” 冒険心理活劇ファンタジーふう摩訶不思議(変態)恋愛マンガ”という共通項でくくられ、異なっている点は 「性」 の侵入以前と以降の子ども時代の物語だということ。(けっして「子どもむけ」だから程度が低いとか「性」が入ってるほうが 奥が深くて高尚だとかとか言っているわけではない。為念)

ここまで読んでくださって有難うございます。

「グルグル」は 15巻で どういうふうに完結するのか、楽しみ。

■ おまけ/ 「グルグル」と「 ディスコミ」 メモ

2002,5,12

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