自分と違う意見を読むと不愉快になるという方は、ぜひ、「読まない権利」を行使してください。よろしくお願いします。私の意見も書いた時点のものなので、あとから他の意見を聞いたり新しい情報が入ったりすれば変わっていく可能性があります。 |
おきらくに | ||
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ミッションインポッシブル | ||
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2011/11/23 (Wed.)
「通販生活」のCMがテレビでは流れないという話を聞いて描いた絵。 私は20余年前に「通販生活」で「おもしろ珍道具」が乗っていたころからの購読者である。 そのころからずっと20余年間、カタログハウスではチェルノブイリの子どもたちへの支援や世界の原発の動向などを載せ続けてきたことに敬意を表する。 |
昔、関東軍。今、東電。 | ||
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福島のある原発立地で、東電の家族の人たちと地元の主婦たちの親睦のグループがあった。3.11の数日後、地元の人が気がついたときには、東電の家族の方々だけで、地元の人達には何も告げずに、そろっていち早く逃げ出していた。 この話を新聞の中の小さな談話でて知ったときは、私も「まるで関東軍みたいだ」と思った。先の戦争のときの終戦間際の旧満州で、ソ連の参戦をいち早く知った関東軍が、軍とその家族だけ先に日本への帰途に着いた。現地の日本人を置きざりにしたまま。20余年前のチェルノブイリの事故発生当時も、旧ソ連の高級官僚の家族だけが、地元民に知らせずに一足先に逃げていたことは新聞で報道されていたので、どこでも起きることかとも思う。 池田香代子さんがこの件について以下のブログで「まとめ」を試みて下さったことに感謝する。 ブログ「原発てんでんこ」? 「情報を発信する人のところに情報が集まる」というが、発信されたことで周辺の事情や動画も集まっていた。おかげで都市伝説として風化する心配がなくなった。こういうことは何度でも反芻し、検証し、何よりこのような状況を作らないためにはどうしたらいいかの作業をしていかなければならない。個人的な「体験」ではなく、国民としての「経験」に。 「津浪てんでんこ」と「原発てんでんこ?」は「どう」違うか、「何が」違うかというのは、「比べる学習」のやりかたで考える教材になるではないか(今は無理でも)。津波は天災で、原発災害は人災または文明の災害というところからいろいろ比較すると、けっこうおもしろく、子どもに考えさせることができる授業になると思う。 「逃げた東電家族の人も、その時どういう指令(?)があったかを、語ってくれないかなー」と、うちの高2の子どもに言ったら、「そんなことしたら、今度は東電から『裏切り者』扱いされるから、言えないんじゃないの?」と言われた。 |
[(北朝鮮の)金総書記の孫はいまどきの少年] という見出し | ||
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「金正日総書記の孫であるのはとても疲れる」と、米メディアのインタビューに答えている。 流暢な英語で「僕がしたいのはただ勉強をして、自分の人生を生きることだ」と述べた16歳。 ううむ。ある意味、金総書記にとって、一番洗脳しなければいけない人間は自分の孫だったということか。いや、このコは後継者レースからは外れてるので、お目こぼしされてるのかな。不肖のお孫さん、万歳v。 |
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北朝鮮の金正日(キムジョンイル)総書記の孫で、旧ユーゴスラビアのボスニア・ヘルチェゴビナにr通学したキム・ハンソルさん(16)の取材記事。(読売10月31日)北朝鮮と歴史的に交流の深いボスニアのビザ発給を受けて留学。学校には約150人の生徒が留学し、アフガンやパキスタン、パレスチナなど紛争地から来た生徒もいる。学校側は「(旧ユーゴ解体に伴うボスニア紛争から立ち直った)この町で、様々な背景を持つ学生と交流してほしい」と期待する。期待してます。 「2歳のころからほとんどマカオで父親と過ごし」「北朝鮮へは毎年夏に訪れる程度で「ほとんど知らない」。いやでもしかし、あなたの着るもの食べるもの住むところ買うもの全て、北朝鮮の国民の税金でまかなわれているのよさ。 |
2011