recent day '01, 7, 13 近況 というか たわごと

bye bye,,,,,,, Tove Jansson ,,,,,

この絵はgifでは 52.2KB 。  jpgにすると 52.5KBなのはなぜなんだ。 「ムーミン」の作者のトーベ・ヤンソンさんが6月29日に86歳でヘルシンキの病院で逝去された。

(「トーヴェ」が原語に近い発音だそうだが、どうしたって原語の発音など出来るわけがないんだから、 私は「トーベ」でいい。)

ムーミンの声を「高山みなみ」と思うか、「岸田今日子」と思うかで、世代がわかりますよね。

最初のムーミン(東京ムービー)
1969年10月〜1970年12月まで放映

次の「新ムーミン」(虫プロ )は1972年1月〜1972年12月。「♪ねえムーミン」で有名なOP。
「巨人の星」や最初の「ルパン三世」と同じ頃に放映されたもので、今見るとダサイかもしれない。

「楽しいムーミン一家」。
1990年から放映され、途中から「楽しいムーミン一家・冒険日記」。


「新ムーミン」は、よくも悪くも「日本的」であり、ヤンソンさんは「これはムーミンじゃない」と大変立腹されたそうだ。( ムーミンが網をもって蝶を追いかけるシーンを見たヤンソンさんは「エキサイティング(刺激的)なシーンだ。どうして 蝶を捕まえようとするの」と、文句を言ったそうです。しかし、この日本的でダサダサな「新ムーミン」がヤンソンさんを日本で一番有名なフィンランド人にしたのですよ。)

私にとってのムーミンは、この 「新ムーミン」で、岸田今日子による内気そうな、くぐもった感じの声の男の子で、スナフキンはハーモニカ ではなくギターで「 おさびし山のテーマ」を歌う。





たしか高校1年のときだ。雑誌の文通希望者欄でムーミン好きの同年代の子が6〜7人集まった。
呼びかけの福井県在住の冷子さんのもとに、みんなで2〜3ヶ月に1度の割で手紙というか近況を書いて送り、それを冷子さんが知り合いの所で安く青刷り印刷?というので印刷して、小さな冊子にたばねてくれて、それぞれのもとに送り返してくれた。 2〜3年つづいたかな。

いまでは音信不通になってしまったが、文通友達など、かつて心のうちを見せ合った仲間に対しては

「 私がその人を忘れない限り、その人も私を忘れない(はず)」

という変な確信というか自信のようなものがある。(それに対して「 私も同感です」と書いてきた文通友達もいた。) 筆まめではなくなった今の、薄情者の言い訳に過ぎないかもしれないけれど。

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