友達は、断言する
K 2005/4/28

広汎性発達障害(生まれつきの脳の認識の障害)の中2のお子さんを持つ友達と1年ぶりに話す。
先日「子どもの精神障害者手帳1級をとった」そうだ。

その子どものTちゃんは、普通の公立中学の普通学級に通い、今年度クラス委員になったという。
(本人もよくわからないまま、推されてなったらしい)

まったく、「障害」って何よ。広汎性発達障害,高機能自閉症スペクトラム,アスペルガー症候群の人はこの世にいっぱいいるのだ。

Tちゃんは一見普通のまじめな中学生だが、いわゆる「おウチにまっすぐ帰りなさい」と言うと、「まっすぐ行ったら帰れません」と、答える子ども。
そうすると、周りの友達はそれを冗談で言ってると思って笑い、先生は冗談を言うなと怒るが、Tちゃんには何故それで笑われたり、怒られたりするのかが理解できない。

 周りと上手く折り合えないためストレスが高じ、自宅に帰ると母親に当り散らすそうで、「ドメスティックバイオレンス(DV)だよ本当に」とのこと。

Tちゃんは保育園のとき「お母さんの顔を描いて」と言われて、描けなくて悩んだ末、ピンクのクレヨンで紙を塗りつぶしたそうだ。

そういうTちゃんが小学校の高学年で「広汎性発達障害」と診断されたときは、彼女は「今までの謎(子どものおかしさ)が一気に解けた」、むしろ晴れ晴れした気分だったらしい。何かがおかしいけど上手く説明できないと思いながら、そのおかしさに最初に気づいて指摘してくれたのは学童保育の先生だったそうだ。

 それまでにも、自分の育て方が悪いのか、働いていたのが悪いのかと、散々悩んでいたので、「障害」と診断され、本も何冊も読み、障害を理解したことで、今までの子どものおかしさがすべて、ひとつながりの糸でつながっていることが見えたことは、むしろ彼女にとって僥倖だったそうだ。

その後、同じ市内に住む私の別の友達の子どもも広汎性発達障害とわかったので、両者を紹介したら、その二人が中心になって市内に住む広汎性発達障害の子を持つ親の会を作り、昨年の今頃は講演会も企画した。親の会はちゃんと続いていると言う。

 彼女によれば精神科のお医者さんはみんな大なり小なりおかしいと言う。
 いや、昨年講演会に呼んだ先生も、相当変わってる(面白い)人だとは思うけど)「貴方は断言できるほど精神科のお医者さんを知っているのか」と問うと、「子どもの障害がわかってから、かなりドクター・ショッピングしたし、講演会があると聞けばあちこち行ったから、自分の知ってる範囲ではそう思う」と。
「ノーマルと思えたお医者さんそのうちの一人くらいで、何でこんなにノーマルなの!?と感心したくらい」だそうだ。

「精神科のお医者さんはみんな『自分を知りたい』という動機で医者になったのよ。で、去年招いたあの先生もたまたま、そのキャラクターにあった仕事だったわけよ」と、力説された。

公民館にポルシェで乗りつけ(逆玉の輿だとか)、自閉症の扱われ方の歴史を講演し、「僕のひそかな夢は宇宙旅行」とも講演の中で語ってました。 自閉症スペクトラムの人の付き合い方がわかると、どんな人間との付き合い方にも応用が利きますよとも。
 ええ、私も「光とともに」がもっと早く世に出ていたら、昔、ある公園友達(子どもではなく、その母親)のことで、あんなにストレスをためずに済んだのに、と思うところがある。




子どもの逆襲

K 2005/4/28
先の友達が引越し先で猫を飼えないという
「キャットフードもトイレの砂も毎週届けるから、最長で2年間、猫を預かってくれないか」と。

雑種のオスの2歳の去勢済みという。昼間は外へ出て夜は家へ帰ってくるネコだという。

集合住宅のウチで飼えるかどうか。
(飼ってる家は少なくないとはいえ)
帰宅後、子どもに聞いてみた。

上も下も口をそろえて猛反対
「ムリに決まってるでしょ!」
「誰が世話すると思ってるの?」
「私はいやだよ!」
「お母さんに世話できるの!?」
「○○(下の子の名前)飼うだけでこれだけ大変なのに、これ以上飼えるわけないじゃない!」
 (ここで上と下のケンカ)

「とにかく、お母さん、ウチじゃ、ムリだよ、断ってきな、」
「猫のトイレだって、どこに置くのよ」
「私これ以上うるさいのイヤだよ」
「消臭スプレーを買う気があるなら考えてもいいよ?」
(私はそういう薬剤の類を買わない主義なのを見抜かれている。)

私「...ふつう、子どもが飼いたいって言うもんじゃないの?逆じゃないの?」

子「
『ふつう』なんてものは存在しないといつも言ってるのはお母さんでしょ!
  よそはよそ!ウチはウチなの!」


(まさか子どもに、私の言葉を使って切り返されるとは思わなかった。がーんんん)
私「いや、『フツウ』は幻想だけど、一定の範囲内における平均値とか多数派とか、常識というものは存在するのであってブツブツ」
上の子「私は『ハムスター研究レポート(大雪師走/著』読んでハムスター飼いたいと思ったことあるけど、ゲームのコードかじられたら困るから、あきらめたんだよ。とにかくウチでは動物飼うの、無理だよ!」

(あああ。君達は偉いです。現実を冷静に直視しています。)
(集合住宅の狭さと、このウチに、毎日猫の世話が出来る人はいないと、子どもの方がよくわかっている)

猫の世話なんかしない、出来ない、と言い合う二人に
私「...あんたたち、それ、親の介護を押し付けあう姿に見えるぞ...」
子「そういうふうに育てたのはお母さんでしょ!」

はい、すみませんでした。
 4月より 上の子中3 下の子小5 君達は私よりずっと大人です。かくして猫の話は却下された。


[懸賞]

K 2005/4/26
「幸せ生活のためのマネー哲学
専業主婦でありながら5年間で1000万円ためた私の方法」
鎌田なお子 幻冬舎1400円+税

図書館で借りて積読にしといたら下の子が先に読んだ。

著者は倹約と節約を子どものころから身に付け、ありとあらゆる機会を捉えて懸賞に応募し、懸賞ハガキ代は年間7万円で、当選率4割キープ。

たかが懸賞とはいえ「○○社は去年は景品がA,B,C 賞まであったのに、今年は A、B賞だけになった」等と定点観測の域に達するほどで、そこから会社の景気に興味を持ち、株を買いへそくりも儲ける。

ただのドケチではないし、人間的にも感心する。

が、懸賞ハガキというのは、どれだけ目立つように書くかで、当選がきまるんですかー。その技も満載でした。
マンガでそういう当たる為の努力が描かれるのを見たことはある(「がんばるな家康」だったか?)が、こんな実態を暴露して、いや、言いきってしまっていいんでしょうか。

いや、きっとこれだけ「念」(by「ハンター×ハンター」用語)のこもった葉書きなら公正に選ばれる場合でも、手に葉書きが吸い付いてくるんじゃないかと、子どもと話した。や、すごいです。




[ 這い出す]
K 2005/4/23
昨年だけでなく今年になってからも困ったさんのメールが続いた。その毒気に当てられ、ダメージがなかなか回復しなかった。

私は人権に関するサイトにメルアドを載せているため、最初はそのサイト関連で来た迷惑メールかと思った。

公共的な掲示板で「間違いメールをもらったり出したりした経験のある人はいますか」と聞いたところ、何人かの人から珍しいけれども実際にあることも教えてもらった。

アダルトサイトからの手の込んだメールである可能性も考えた。その手のスパンメールは毎日20〜30通くる(だからこのサイトでは、メルアドを載せずに転送サービスを利用している)。

問題のメールはどうもそういった感じではなく、メールの向こうに「ひと」がいるように見えた。

だから、「自分はなにかこのヒトのためにしてあげられることはなかったのだろうか」という気持ちが少しあったので、それが今年になっても困ったさんからのメールを呼び寄せたような気がする。悩んだ挙句、私は攻撃に転じた。

「私は女性です。あなたの期待には応えられません。(中略)思いきって、ホストクラブに行くか、心療内科に行くか、出会い系サイトに行くか、カウンセリングを受けるか、行動を起こしなさい。朝晩先祖供養をして自分のすべきことをみつけなさい。人生は短いんだからこんなところで時間を無駄にしている閑はありません。さっさと行動を起こしなさい。(後略)悪霊退散。臨兵闘者開陳列在前!」

...こういった内容のメールを20通くらい出した。(いや、同じ内容のメールを何回も送信したわけで)これでやっと困ったさんからのメールは来なくなった。
「先祖供養」が出てきたのは自分の子どものときの環境のせいで、九字が出てきたのは、オカルト関係のマンガや小説の影響だ。自分の地を出せば「変な人」だと思われる。「変な人」だと思われれば、向こうから離れていくだろう。と、開き直って書き送った。
何もしてあげられないなら、関わる気がないなら、こうしてさっさと縁を切るべきだったと反省した。

(精神的に、なんとか穴の底から這い出してきたという感じだった。ぜーはー。)
(05,09,06編)


子どもに関する日記とそれ以外の日記や少しウツのときの日記を別ファイルに分けるのを、やめることにしました。結果、kさんて結構ブラックなのねと思われるやもしれませんが。(笑)
[怒り]

k 2005/1/13 (Thurs.) 21:50:44
子どもの部屋にマンガの新刊を探しにいったら、机の下に、食べていない弁当箱を見つける。上のアホ子である。

私は弁当を食べずに残したのを怒っているんじゃない。

もう小学生でもないくせに、食べれなかった中身をチラシなどに丸めてそっと捨て、空の弁当箱を出すという工夫ができない知恵の足りなさというか、アホさというか幼さというか、そういったものに怒り、タメイキをついているんでアル。


リサイクル・ボランティア

k 2005/1/9 (Sun.) 22:23:52
乳児幼児用靴入れ
ベビーシューズラック
都会の集合住宅で、乳幼児のいる家の玄関に置かれているもの。

これが埃を被って不燃ゴミの日に出されていた。私は持ち帰ってきれいに洗い、自転車の後にくくりつけて市の市民/生活館の一角の乳幼児用品のリサイクル品展示コーナーへ持っていった。
1カ月くらい後に行ったら、ちゃんと無くなっていた。(展示品をほしい人が好きに引き取るシステムなんである。)よかったよかった。
このリサイクルコーナーが市民/生活館の廃館(統廃合)のついでに今年6月に廃止されるというので、困る。



いわさきちひろ美術館


k 2005/1/6
夫の正月休みの最後の日に、西武新宿線上井草駅より徒歩7分の「いわさきちひろ美術館」に行く。
都内にずっと住んでいるくせに、これまで行ったことがなかった。思ったより、こじんまりとした場所だった。
入場料大人800円×2(夫と二人)

←新青梅街道のほうからみると、こんなふうに、ちひろの絵がみえる。2階の窓に内側から貼られたポスターだった。えんじ色の落ち着いた外壁だった。
小雨が降っていたためか、入館者も普段より少ないほうだと思う。
いわさきちひろって共産党なの?」とかいう驚く声が聞こえた。(「そんなことも知らんで来たんかい」と思っったが、自分も最初に知ったのは、結婚して夫の本棚にあったちひろの文庫を読んだからだった。(ちひろの夫の松本善明氏は共産党の国会議員だったのは有名な話。)




ダークですうううう

実家から逃げ帰るの心象風景>この親不孝モノ
k 2005/1/4
実家は苦手だ(という人がネット上では案外いるので、ウレシイ>屈折してる自分)。

ウチの1月2日の恒例行事
電車とバスで1時間かけて都内の中央線沿線の私の実家に家族で年始に行く。
11時半に実家に着き、昼食をご馳走になり、3時半に出立した。(その間ずっと家の中にいたわけではなく、祖母と孫達で駅前に買い物に出かけたり、私だけ腹ごなしに一人で公園に行ったり、夫は私の弟とアニメの話をしたり。)
 なぜ半日で切り上げるかと云う実際の物理的理由は、老夫婦二人の借家住まいには、家族4人で行って寝泊りできるスペースは実際にない。本当にない。ないんだってば。(ちゃんと書かないと、地方に広い実家のある人には理解されなかったので)

精神的理由は・・・たとえて言えば、自分の選択に悔い無しと思ってる未婚子無しの中高年女性だって実家で「おまえみたいなのを世間じゃ『負け犬』とか『オニババ』とか云うんだよ」と小言を聞かされるのはイヤだろうし、新潟中越地震のボラをしている若者だって「一円にもならないことを何もおまえが」と正月から家人に説教されるのは嬉しくないだろう。
 家人に悪気がないどころか、善意で娘や息子を心配して言うのだろうが、聞かされるほうは負の波長を浴びるようなものだ。

 私の実家も、3時間以上長居すると、そういった波長を浴びる(特に母から)ので苦手だ。(すいません。ごめんなさい。母にまったく悪気がないのはよくわかってます。孫にお年玉をくれる祖父母としては感謝しています。すいません。)

せめて、私は自分の子に対して、ああなってはいないだろうかと、反面教師にさせてもらっている。すいません。


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